プロフィール

はじめまして、とだまこです!

自由に、気ままに、マイペースに暮らしている
北海道在住の32歳です!

今でこそ
自分は自分!「私は私だから~」と
ラフに心構えて生活できていますが、

以前は、他人からの評価を気にしすぎたり、
八方美人に振舞う窮屈な毎日を

過ごしていました。

でもある時、友人の言葉に
「私、もっと自由に生きていいんだ」
と気付かされ

その言葉で、
それまで私の心の奥底にあった

「期待された生き方をしなきゃ」
「いい子でいなきゃ」

という意識が変わったんです。

楽観的でもなんとかなるんだ
もっとポジティブに考えていいんだ
と思うようになりました。

そこから十数年、
今に至るまで紆余曲折ありましたが(笑)

もっと自由でいい!
もっと自分に素直でいい!
今までもうまくやってきたじゃない!
きっと大丈夫、やってみよう!

の精神でこれまで様々な選択をしてきました。

これが、今の考え方の根本である
ゆるいポジティブ思考に繋がっています。

周りに気を使いすぎることも少なくなり、
世の中のいわゆる「普通」にとらわれずに
自分らしく楽に生きることができています。

自分の人生は自分次第!

以前の私ならそんな考え方は図々しい、、、
と思っていましたが、

今は自分の人生は自分で作るもの!
と思うくらい

楽観的かつポジティブ
物事を考えるようになりました。

楽観的ポジティブとは言え、
根っからの明るい性格の持ち主でもなければ
陽キャでもなく、、、

マイペースであることを武器に
冷静にそして柔軟に考えることが得意です。

多少飽き性なところはありますが、
好きなことにはどっぷりハマる
典型的なマイペースです。

こんな私ですが、32歳となった現在は、
約8年の会社員生活を卒業し、

生まれ育った札幌で
自分のペースで自分の好きなよう
日々活動してます。

どうやって楽観的な考え方を
するようになったのか?
どんな思いで発信をしているのか?

自己紹介の中で
お伝えしていきたいと思います。

自分の生き方に違和感がある方。
もっと自分に自信をもって過ごしたい方。
人生が好転する考え方を知りたい方。

ぜひ最後までお付き合いください。

活発な小学生

1990年6月、北海道札幌市で生まれ、
父、母、私と妹の4人で暮らしていました。

今思えば、父の稼ぎは少なく
手取りで19万円ほど。

大人になった今だからわかりますが、
すっごく貧しかったんだな、、、と思います。

持ち家こそありましたが、
家族で外食や旅行をした記憶が
ほとんどありません。

とても裕福とは程遠い家庭で育った私ですが、
小学校に入学した頃はとても活発で、
友達もたくさんいましたし、

公園で木登りをしちゃうくらい
元気でお転婆な女の子でした。

学校の廊下を走って転び、
教室の扉に顔面をぶつけたこともあります(笑)
まぶたの上が切れて流血しました、、、

学校では毎日元気に
過ごしていた私でしたが、

家庭環境はお世辞にもいいとは
言えないものでした。

父も母も世間体や体裁を
とても気にする人たちだったんです

父はいつも私に「上を目指せ」と言い、
勉強やスポーツで優秀な成績をとることを
求めました。

そして母は何かにつけて
「恥ずかしいからやめなさい」
と私がやろうとすることを咎め、

家庭事情を他人に隠すタイプの人でした。

母には妹がいるのですが、
「妹のクセに私より背が高いなんて生意気」
とよく言っていたのを覚えています。

大人になっても
身長のことを気にするんだ、、、

そんなに自分の妹と
比べなくてもいいのに、、、

子どもながらに
母は劣等感を抱えて生きているんだ
と感じていました。

そんな両親のもとで育ったからでしょうか。

しっかりした大人にならなくては!
人様の前で恥じないような

優等生にならなきゃ!

と自然と思うようになっていました。

5年生、6年生になっても
私の元気の良さは健在でしたが、

学級委員長にも立候補し、
運動会ではリレーの選手になり、
良い成績が取れるように授業を聞き、、、

優等生でいることが当たり前になりました。

親の価値観を疑問に感じた思春期

小学校、中学校では優等生として
過ごしていました。

はたから見ると
「良い子」「恵まれた家庭の子」
だったと思います。

でも実際は家庭環境は最悪で、
毎日のように両親の喧嘩を聞いて

過ごしました。

父親は手を上げることは
ありませんでしたが、

「俺は完ぺきな人間だ。お前らはクズだ。」

と顔を合わす度に
言うようになりました。

言葉のDVですね。

モラハラ気質な人であることは
感じていました。

何かにつけて見下した発言をしているな
とも思っていました。

「こんなこともできないのか。」

父から何度言われたかわかりません。

父は常に自分が人よりも優れている
と思うことで

自分が劣っている人間かもしれない、
という不安
から解放されたかったのでしょう。

「一番意外に価値はないからな。」
「完ぺきな人間しか認めない。」

とも言われていました。

ちょうど学校の授業で
セクハラ、パワハラ、DVなどについて
学んでいたこともあり、

父親の考え方や発言が偏っているのが
中学生の私でもわかりました。

こうも極端に見下す大人と暮らしていると、
また何を言われるかわからない、、、
という不安があり

家の中では波風を立てないように
存在を消し、静かに生きることしか
私にはできませんでした。

そして両親の顔色をうかがって

今なら話しかけられるかな?
というタイミングを見ては
適宜ご機嫌取りをしていました。

父親に言い返したい気持ちはあるけど、
反抗したら逆鱗に触れるかも、、、

そう思うと中学生の私は
何も言えませんでした。

両親の価値観に疑問を感じながらも
どうすることもできず、

自分の感情を表に出すことを抑えて
中学生時代を過ごしました。

小学生・中学生の頃は
勉強は得意だったので、
高校は公立の進学校に入学しました。

他人の目を気にする両親でしたので
私がその高校に入学したことは
かなり鼻が高かったのでしょう。

隣の家のお孫さんは〇〇高校なんだって、
あなたより少し下のランクの高校ね

母から何度も聞かされたのを覚えています。

小学校や中学校の同級生の進学先についても
比較した発言をよくしていました。

私のことを認め、褒めるのではなく、
他の家の子を下に見る感じ、、、

父は1番を目指せと言う。
だから、言われた通り1番をとっても
私を褒めることはない。

正直、何のために勉強しているのかも、
誰のために生きているのかも
わかりませんでした。

ずっと心に違和感をもって
過ごしていた
ように思います。

友人との出会い

モラハラ気質の父親と
過度に他の家庭と比較する母。

そんな二人の元で育った私は
他の人から自分が良く評価されるよう
と常に気を張って過ごしていました。

優秀で聞き分けの良い子であることが
私らしさだと思っていたんですね。

ですが、高校に通い始めてみると
自分よりもはるかに優秀な子たちが
いることに気が付きました。

しかも、たくさん。。。

勉強やスポーツができることは
私の個性でもなんでもないということに
入学してすぐに気付きました。

これが私にとってはちょっとした衝撃で、
一体私って何者だろう?
と考えるきっかけになりました。

入学してすぐ、同じクラスだった
Kちゃん、Sちゃんと仲良くなり、

この二人の存在が
それまでの私の考え方を大きく変えました

ボーッとしてて
何を考えているかわからないKちゃんと
アクティブでおっちょこちょいなSちゃん。

意気投合した私たちは
3人で弓道部に入部しました。

高校の弓道部って
ほぼ全員初心者なんですよね。

部活動、ましてや運動部に入るつもりは
全くありませんでしたが、

全員スタートラインが一緒!
というところに惹かれて入部しました。

物事に対して
あまりこだわりのないタイプの私でしたが、
弓道にはどっぷりハマりました。

勉強なんてそっちのけで人一倍集中し、
弓道に時間を費やしました。

家に帰ってからも体幹トレーニングをして、
弓道の教本を買って、読んで、実践。

その甲斐あってか、
部内では先輩を抜いて一番の的中率。
1年後には部長に任命されました。

でも、私には自信がありませんでした。

私でいいのかな?
今は的中率一番だけど、、、
みんなを引っ張っていけるのかな?

ずっと不安を抱えていたんですね。

そんな時、KちゃんとSちゃんは

まこちゃんはまこちゃんだよ!
そのままでいいんだよ!大丈夫!
みんながついてるから!」

と言ってくれました。

その言葉が私の背中を押してくれ、
部長になる決意ができました。

そして、なにかと悩みがちな私に

「言霊だよ~、できると思えばできるし、
叶えたいことを口にすればそれが叶うんだよ」
と教えてくれたんです。

ことだま、、、?

それは、私の知らない言葉、
初めて聞く言葉でした。

言霊は「言葉に宿る魂」という意味です。
自分が発した言葉が現実に影響する、
言葉にはパワーがあるというイメージ
ですね。

スピリチュアルなことは
あまり得意でない私ですが、

ポジティブな言葉を使えば
ポジティブなことが起こる。

ネガティブな言葉は
ネガティブなことに繋がる。

なんとなく身に覚えがありました。

そんな友人との
ちょっとした会話中の出来事でしたが、

言霊(ことだま)という言葉を知った私は、
自分の発する言葉と思考は行動に繋がっている
と気付くことができたんです。

それと同時に、
自分の中にあった何とも言えない
感情の正体に気付くことができたんです。

自分が本心から願って
行動したことじゃないから

何をやっても自信がなかったり、
成果が出ても不安に感じるのか、、、

自分の本心に関係なく
両親の理想のためだけに
優等生でいるように振舞ってきただけ。

本当の自分はこんなんじゃないのにって
ずーっと心の中では感じていたんですよね。

親の理想に沿った行動でなくていい。
理想的な部長を演じなくていい。

私は私でいい。
もっと自分らしくていい、と思えました。

当時の私は
相当自信がなかったんだと思います。

それが、言霊という言葉を知ってからは
ガラッと潜在意識が変わりました。

考え方で行動が変わるということが
自分の中ですごく腑に落ちたんですよね。

それまでずっと自分を活かせていない
気がしていたんです。

「なんだ、今までもっと気楽に
自由に生きてきても良かったんだ。

親の言葉に
考え方が左右されていただけだったんだ」
って思えるようになりました。

言霊は難しいことでもなんでもなく、

ポジティブなことを言うと
ポジティブ思考になって
行動までポジティブになる。

とても、シンプルなこと。

次第に私の思考はポジティブになり、
心配性な友達に対して私から
肯定的な言葉をかけることが増えました。

その結果、
その友人も部活内の人間関係に
悩むことが度々ありましたが、

私に相談しアドバイスを求めてきたり、
相談途中でああこうすればいいのか!
と自己解決できるようになっていきました。

私は友人に助けられ、
逆に他の友人の力になることができた!

と感じた経験でした。

ポジティブになったことで
「なんとかなるよね!」と考えることが
劇的に増えました。

悩み事がないのが悩み事と言うまでに
私は楽観的にもポジティブにもなりました。

自分らしく生きていいんだと感じてから
本来の自分を出して高校生活を
楽しく過ごせたと思います。

最高に楽しい大学生活

後で知ったことですが、
言霊を教えてくれた友人のお母さんは
コーチングの仕事をしているそうです。

そのため友人も発する言葉の大切さ
知っていたのでしょう。

今でこそコーチングという言葉を
目にする機会が多くなりましたが、

10年前に高校生だった私は
コーチングという言葉自体知らずにいました。

あのとき、言霊に出会っていてよかった。
私の人生を変えてくれた

と今でも感じています。

マイペースかつポジティブさを得た私は
恋愛もサークル活動もアルバイトも充実した、

これぞ大学生!
という大学生活を過ごしていました。

本当に順調に過ごしていたと思います。

スピリチュアルなことは
あまり得意ではないので

「常に言霊を意識して生活を送る」
ということはありませんでしたが

自然と物事をポジティブ変換する癖が
ついていました。

何事にも自分のペースで取り組んでいたので、
無理せず自分の好きなことは全力で取り組む
ということができていました。

自然体で自分らしく過ごせていたし、
この先の人生も順風満帆に過ごせる!
なんてすばらしい我が人生!

と思って過ごしていました。

でもそんなにうまくいかないのが
人生なんですよね。。。

大学生になった頃、
父のモラハラがかなりひどくなりました。

モラハラというより
言葉のDVと化していました。

両親が会話らしい会話をすることはなく
完全に家庭内別居状態。

母は、父と顔を合わせる時間が
少しでも少なくなるようにと
パートを始めることに、、、

その結果、
「俺の給料をバカにしているのか?
見下しているのか?」と父は怒りました。

、、、しまいに父は
給料を家計に全く入れなくなりました

当時私は実家暮らしの大学生。
アルバイトで自分の生活費はすべて賄うことが
できるくらい稼いでいました。

妹はもう高校生だし、
家庭状況を十分理解している。
母もパートを始めたし、、、

今がチャンスだと思い、
私は母を説得して半ば夜逃げのように
母、私、妹の3人で家を出ました。

大学の親しい友人には、
お父さんを置いてくるだなんて
かわいそうと言われましたが、

私は正直「これでよかった。
やっと普通の生活ができる。

と感じていました。

父からの離脱、
モラハラ発言からの解放で

やっと自由になれる!
そう強く思ったんです。

家庭環境を変えたおかげで、
父の無言の圧力を感じることもなくなり

優秀でいなきゃ、一番にならなくちゃ。。。
といった他の人からの評価を気にするような
考え方は減りました。

私は私のやりたいように生きよう。
やってみてダメだったら次を考えよう。

それまでとは異なり、
楽観的に考える機会が増えました。

大学生らしく飲み会や異業種交流会などにも
頻繁に参加するようになりました。

おかげで他大学に友人も増えましたし、
いろんな生き方をしている
大人に出会うこともできました。

人生ってただ就職して働くことことが
全てじゃないんだ
と知ったのはこの頃です。

私にしかできないような生き方をしたい
と希望を持っていました。

就職活動で自分迷子に

大学生らしい大学生活を送り、
遊びにバイトに旅行に恋愛に飲み会、、、
最高に楽しんでいました。

順風満帆だった学生生活。
それが就職活動が始まるとだんだん
雲行きが怪しくなっていきました

「なりたい職業」も
「就きたい仕事」も
「働きたい会社」も

、、、私にはなかったんです。

いつか就職をしなくてはいけない、
その時のためにと様々な資格を
学生時代に取得しました。

サークルでは代表にもなったし、
就活面接時のネタになるような経験も
たくさんしてきました。

でも、入社したい会社がない、
やりたい仕事が何かわからない、
将来どうなりたいかも想像できない。

完全に自分迷子でした。

みんなが就活をしているから
私も就活するか。。。

就活セミナーや合同説明会などにも
参加してみましたが

働くことに対して
興味も実感も湧かなかったんですよね。

自分のやりたいこと、、、?
強いて言うなら独立起業・開業したい。
けど、やりたい分野がわからない。

こんな調子で全く就活に身が入らないまま、
気が付けば卒業まであと数か月。

これだ!と情熱を持てる仕事は見つからず、
たまたま大学の就職支援課に求人がきていた
航空業界に応募しました。

英文科を専攻していた私は
必要資格等の応募条件を満たしていましたし、

周りにいる英文科の人たちにも人気の職業だし、
まあ応募するだけ応募してみてもいいかな?
そんな軽い気持ちでいましたね。

就職先を見つけないといけない、
みんな就職するんだから!
という焦りも多少あり、

自分がやりたい仕事かどうかではなく、
周りからどう見られる仕事かを
優先してしまったんですね。

そして大学4年生の2月、
卒業間近にその航空業界の会社から
内定をいただきました。

卒業旅行で行っていたタイから帰国し、
新千歳空港に着いたまさにそのタイミングで
内定の連絡を頂いたのを今でも覚えています。

これで就活負け組にならなくて済む。
グランドスタッフは花形職業だし、
周りからもすごいと言われるだろう、、、

こんな考えでいたと思います。

グランドスタッフがどんな職業なのか
わかっていたつもりでしたが、

実際に働く中で、
自分の理想の働き方とは違うなと感じ、
1年で転職することにしました。

転職する話を母にした際、案の定
「とりあえず3年働きなさい。」
お決まりのフレーズを言われましたね。

あぁ、やっぱり言われたか。。。

母が何か口出しをしてくることは
わかっていたので、

転職するか悩んでいるという相談ではなく、
転職するという決定事項を伝えました。

母の言葉で自分の決意がぶれないための
とっておきの秘策です。

私が空港を退職した後も、

「あなたが仕事を辞めたことは
親戚にも誰にも言ってないからね。」
と母に言われました。

母が発する一言一言が
世間体を気にしたものであることが
よくわかりました。

ただ、こういう一言が
私の心を不安定にさせるんですよね。。。

でもこの時は、自分の中で
母の発言に対する対策ができていたので、

母の言葉に左右されずに
転職することができました。

社会人となり失った自尊心

社会人2年目として
転職先を選ぶ際に条件としていたのが、

・札幌の中心部で働けるか
・前職よりも給料が上がるか
・人受けのいい職業か

ここでも私は、
周りからどう見られるかを
気にしながら転職先を探していました。

幸い、すぐに転職先が見つかり、

大きな駅ビルの
インフォメーションスタッフとして
華やかな職業に誇りをもって働き始めました。

女性ばかりの職場でしたが、
人間関係は比較的良好で、
同僚には恵まれていたと思います。

でも、2年働くうちに
だんだんと自分の中で
疑問がわいてきてしまったんですね。

この仕事の必要性って何だろう。
この先AIが発達したら必要ないんじゃ?
私にしかできない仕事なの?

ショップに対するクレームを
私に行ってくるなんて理不尽すぎる。
なんで私なの?

色んな気持ちが渦巻くようになりました。

そして何がきっかけかわかりませんが、
インフォメーションカウンターに立つと
勝手に涙が流れてくるようになりました。

もちろん、
お客様の前ですので、
一生懸命涙を出すまいと我慢します。

その結果、顔は強張り、
何があっても笑顔で対応すべきなのに
全く笑顔が作れず、

喋ろうとすると
涙が出そうになるので声は低く、
自信のないものに、、、

最終的に、私が一番恐れていたこと、
お客様から名指しでクレームを受ける
という事態になりました。

名指しでのクレームって、
他人から悪い評価をもらう
ということですよね。

商業施設などに
ご意見ボックスが置いてあるのを
見たことありますよね?

まさにあのボックスに、
私の名前が書かれたクレームが
入っていました。

自分でも笑顔で接客できていないことは
わかっていました。

でもどうしても笑顔が作れなかったんです。
今までそんなことなかったのに。。。

不安な気持ちで
毎日の勤務についていました。

笑顔で接客できない状態の私でしたので、
それからすぐに退職を申し出ました。
本当につらかったです。

自分の至らなさ、
仕事としてお給料を頂いているのに
笑顔を作れない自分の不甲斐なさ。

周りにいる同僚が
キラキラ輝いて働いているように見え、、、

外国人のお客様相手に
英語が話せないスタッフが
楽しそうにご案内業務をしている。

私は英文科を卒業して
空港でも働いていたくらいなのに、

英語がわかっても笑顔が作れないから
素敵なご案内ができない。。。

気が付いたころには
完全に自尊心を失っていました。

これが2度目の退職の経緯です。

私を変えた友人との再会

気が済むまで休んだら、また働こう。

意外にもそんな軽い気持ちで
社会人4年目の年に2度目の退職をしました。

転職を繰り返すと
就職先がなかなか見つからないとか、

正社員は難しいとか
そんな話も聞きますが、
その時の私にはまず休むことが必要でした。

仕事を辞めて、
まず最初に考えたのは
東京に遊びに行くこと。

私に言霊という言葉を教えてくれた
高校時代の友人Kちゃんに
会いに行くためです。

高校を卒業してからも
Kちゃんが実家に帰省するタイミングで
時々会っていました。

でも、私から会いに行くのは
この時が初めてでした。

会って、2日間一緒に観光をして、
食事をして、たわいもない会話をして、、、

不思議と高校時代に戻ったような
ゆったりした気持ちになれました。

そのおかげで
「焦らなくていいんだ!私は私!
自分のやりたいことをやればいいんだ」

という気持ちを思い出せました。

私は私、
という気持ちを思い出してからは、

焦ることなくマイペースに、
そして楽観的に考える気持ちが
復活してきたんですよね。

そうなるとなんだか
自信とか希望とか
どこからともなくあふれ出してきて、

よし!再就職しよう!
と思えたんです。

あのとき、
Kちゃんに会いに行って良かった。

高校時代のような素の自分を
思い出すことができて本当に良かった。

持ちべきものは友達だな。
と思えました。

その後、
自分がどう働いていきたいか、
どんな将来にしたいかを真剣に考え、

半年間のニート生活を満喫しながら
自分のペースで仕事を探すことができました。

大学を卒業してからの3年間は
契約社員・接客業として働いていたので、

正社員・事務職に就けたときは、
三度目の正直!やっとここに来れた!
と思いました。

一部上場の大企業。
フレックス休暇もあり、時間休もとれて、、、
土日休みの事務職!これで私の人生安泰!

今までの就活で一番良い判断ができた
と感じていましたね。

でも実際に入社してみると、
大企業には大企業の大変さがあって、

数年働いているうちに、
煩雑な業務と残業の多さで

気が付かないうちに
また自分を失っていきました。

涙が止まらない日々の再来、3度目の退職

将来安泰と思って
入社した会社でしたが、

私は何年働いても
ずっと漠然とした不安を
抱えていました。

「私の人生くすぶってるな、、、」
「私を活かしきれていない気がする、、、」

そんな風に感じていたんです。

事務職を望んで転職したのに、
気が付けば仕事に情熱を持てないまま
4年半も働いていました。

接客業が嫌になり事務職に就いたのに、
全くお客様と関わらなくていい、
なんてことはなくて

むしろ、少し特殊な職種だったため
コールセンター業務も兼ねて電話での
顧客対応が必要という状況でした。

お客様に直接会い接客するという
機会こそありませんでしたが、
常に電話でのお客様対応はしていました。

電話では質問やお褒めの言葉の他、
会社に対するクレームの電話も多かったです。

電話で対応した内容は
すべてシステムに入力し、
社内で情報共有。

そしてそれと同時に
通常の事務業務もする。
、、、慢性的に残業していました。

だんだん残業することにも慣れ、
忙しいことが当たり前になっていくと

気付かないうちに
自分の心がどこかに行ってしまうんですよね。

本来の私であれば、
お客様からのクレーム電話で
一瞬落ち込んでも、

会社の人たちと飲みに行ったり、
友人と女子会をしてストレスを発散したりと
うまいことやり過ごせていたと思います。

でも、コロナ禍でテレワークになり、
飲み会もなくなり、
人に会う機会も激減。

自分の気持ちを
吐き出すことをしなくなり
心を整理できなくなっていたようです。

常に意識が仕事に向いていて、
完全に自分のことを考える
余裕がなくなっていました。

気付けば心がボロボロになっていました。

それが私の場合は
睡眠障害となって体調不良として現れました。
メンタルダウンです。

本当に、
ある日突然、始まりました。

出社して、自分のデスクに着く。
パソコンにログイン、始業時間になる。

まだメールチェックも何もしていないのに
急な不安感に襲われる。

体が震えて、動悸がして息が吸えない。
涙があふれてくる。

あぁこの感じ、前にもあったな。。。

インフォメーションセンターで
働いていた時と同じように
涙が止まらない状況が続きました。

涙が止まらないだけでなく、
今回は動悸やめまい、不安感も。

とても冷静に仕事をできる状態では
ありませんでした。

悩みがないのが悩み事なんて
高校生の時に言っていた私なのに、

ポジティブシンキングどころか
何も考えることができない
という状況に陥りました。

自分の人生くすぶってるな
という怒りが原因なのか
仕事のストレスが原因なのかはわかりません。

2021年7月末、
私は3度目の退職をしました。

「私は私」と再認識

このことがきっかけで、
私は初めて心療内科に行き、
睡眠障害に伴う体調不良と診断されました。

病院で先生に
「あなたはあなた」
とはっきりと言われました。

そこでハッとしました。

大学生の頃は
「私は私。他の人の評価を気にしなくていい。
自分らしくもっと自由でいても大丈夫。」

そんな思考が身についていたのに
社会人として8年働いているうちに
すっかり忘れていた。。。

仕事が忙しすぎて
時間にも心にも余裕がなく
自分を犠牲にしていたんですよね。

きっちり仕事をこなさなきゃ、
明日期限の仕事があるから
今日はここまでやってから帰らないと、、、

目の前の仕事にばかり気を取られて、
自分がどういう風に働きたいかとか
どんな生活を送りたいかとか

そういった前向きな
考えや行動をすることを
完全に忘れていました。

折角、両親の偏った考え方から
離れることができ

本来のマイペースながら
しっかりちゃっかりしている
自分を出せるようになったのに、、、

忙しい毎日で
自分の気持ちは二の次三の次になっていた。

ポジティブで楽天的な私を
どこかに置いてきてしまったんですね。

社会で揉まれると
良くも悪くも人生に影響しますよね。

私の場合は後者で、
会社中心の生き方になってしまった結果

窮屈さに心も体も
我慢できなくなってしまいした。

現在は、
唐突に不安な気持ちが出てくる
ということもなくなり

自分の気持ちを大切にした
意思決定ができることで
以前よりも充実した毎日を送っています。

確実に前向きに
次のステップに向かって
行動ができていると感じてます。

退職したことで自分の時間を持てて、
本来の自分の生きたいように
過ごせるようになりました。

私の思い

私が思う「マイペース」とは
ゆっくりしているとか、
おっとりしているということではなくて

あくまでも「自分のペース」
「自分のタイミングで行動すること」

なんです。

マイペースで自由気ままに、
自分が思い描くように過ごしていきたい。

忙しい毎日で
自分を犠牲にしがちな時代だからこそ、

マイペースにそして楽観的な心構え
生きていきたいんです。

最初にもお伝えしましたが、
私の両親はかなり偏った考えをしていました。

そのため、中学生までの私は
常に他人からの評価を
気にして生きてきました。

もちろん社会で生きていくうえでは、
第三者にどう思われているかを考慮した
行動をとることは大事です。

協調性が求められますからね。

でもそこで、
ただ空気を読んだ行動をとるのではなく、

周りの意見を踏まえたうえで
自分自身がどうしたいか、
どうなっていきたいか

自分のための行動をとることが
大切だと思うんです。

この記事を読んでいる方の中には、
私と同じように

「人生くすぶってるなぁ」
「自分を活かしきれていない気がする」
「本当の自分はこんなんじゃない」

と悩んでいる人もいるでしょう。

私は高校時代の友人の言葉
「まこちゃんはまこちゃんでいいんだよ」
「叶えたいことは言葉に出すといいよ」

そしてメンタルダウンした時に言われた言葉
「あなたはあなた」「私は私」

こういった言葉で
自分の人生は自分でコントロールしていい、
自分主体で行動していいんだ
と何度も気付かされました。

自分を大切にするために
マイペースでいる、
ポジティブでいる、
楽観的でいる。

これが周りの人にもいい影響を与えます。
言霊の力もありますね。

今の私の目標は
「焦らなくても大丈夫。
100%でなくても何とかなる。」

そういった自分を大切にした
優しい考え方
を持っていくことです。

自分に優しい考え方ができるようになれば、

人生は自分の意思で判断していいんだ
とわかりますし、

素敵な判断をするために
自分自身について考えることが
増えると思うんです。

マイペースで過ごすことができれば
辛い時はつらいと言えるし

いろんな方の考え方を知った上で
柔軟に対処することもできます。

普段から自分を知り、
まあこんなこともあるよねと

ラフに心構えることで
ずいぶん気持ちが楽にもなります

自分を持っているので、
前向きな選択ができる状態が
自然になりました。

私は自分がこれまでに得た経験から、
人の評価を気にするのをやめて
自分の人生なんだからもっと好きに生きていい、

もっと自由でいいんだよ
と伝えていきたいんです。

一人で悩んでいても
なかなか悩みは解決しませんからね。

楽観的ポジティブ×言霊
もっと自分らしく自由に気ままに
過ごせたらいいですよね。

縛られずに生きるって、
それだけであなたの可能性が広がります。

選ぶのはいつもあなた自身です。

自分を大切にする楽観的な考え方や
ポジティブでマイペースな心の持ち方を
今後もお伝えしていきたいと思います。

タイトルとURLをコピーしました